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【競馬】パンサラッサが見せた1998年11月1日の向こう側 〜2022年天皇賞(秋)〜


また天皇賞(秋)に名勝負が生まれちまったな...

再現

それはまさしくあの日の再現のようだった。

2022年10月30日、第166回天皇賞。パンサラッサは1998年11月1日に人々が見た夢の記憶を蘇らせ、それにあと一歩まで迫ったのだ。

 

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その彼の大逃げを豪快に差し切ったのがイクイノックスだった。そのキタサンブラック産駒は、まるでその父ブラックタイドの遺伝子に潜んでいた全弟ディープインパクトの要素を顕現させたかのような衝撃の末脚だった。未だ競走馬として完成途上と言われ、G1本番で勝ちきれないタイプになってもおかしくなかった彼が、天皇賞(秋)でG1初勝利をあげたのだ。

 

次走はジャパンCもしくは有馬記念と発表された。ジャパンCになれば同じ舞台で敗れたドウデュース、焦点をJCに定めているであろうシャフリヤール、そして能力未知数の外国馬が相手になる。

有馬記念になった場合、1歳上の王者タイトルホルダーと悩める王者エフフォーリアが待っている。菊花賞馬アスクビクターモアも逆転の機会を 窺っている。

 

ガラスのエースのイクイノックスが今後どの様な蹄跡を歩んでいくのかが楽しみだ。帰らぬ馬となった兄の分も長く競走生活を送ってほしい。

 

そしてキングヘイローが日本の血統地図に残って行く可能性が増えた事が何より嬉しかった。KingmanDubawiを持つ牝馬にイクイノックスが配合されれば、キングヘイローの父ダンシングブレーヴのクロスになるし、母父、母母父でその血を持つ日本の馬も少なくはない。そんな血が海外の大レースを勝つ瞬間を夢見ずにはいられない。

 

ダンシングブレーヴを持つマルシュロレーヌがダート牝馬の頂点を決めるBCディスタフを勝利したように、夢ではないはずだ。

 

さらに夢だと思っていた同年代のエルコンドルパサーグラスワンダースペシャルウィークキングヘイローの血を5代血統表に持つ馬が現れる可能性も高くなった。競馬を見始めた年に私を魅了した黄金世代の名馬達の名前が一同に並ぶ瞬間があったら、この上ない喜びになるだろう。そして、もしそこにセイウンスカイまで加わるような事があったら...と考えずにはいられない。

 

イクイノックス、無事に現役生活を終えて種牡馬入りする事を切に願っている。

 

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名勝負になった理由

そして今回の天皇賞(秋)の主役は勝ったイクイノックスだけではなかった。

2着に逃げ粘ったパンサラッサだ。

 

彼の近年のプロフィールを簡単に紹介する。

2021年10月、東京2000mのオクトーバーSを逃げ切りリステッド勝ちを収めると、続く福島記念では強烈な大逃げで重賞初勝利を挙げた。その驚きのパフォーマンスからツインターボの再来と呼ばれるようになった。

 

この時の前半1000mを57秒台のハイペースで逃げ、直線で粘る戦法がパンサラッサの転機となった。だが、この時点での評価は大逃げの個性派であった。大敗した有馬記念は適距離でなかった事もあり、彼の真の能力はまだ未知数な部分が多かった。

 

しかし2022年の中山記念での逃走劇で、彼は大逃げてレースを沸かせるだけの存在でなく、驚異的な粘りで逃げ切れるだけの実力を持った馬だと言う事を結果で示したのだ。

次の舞台は恐らくG1。更に強い相手と戦う事になるが、ドバイと大阪杯のどちらになっても好勝負できるという印象だった。そして、中山記念の逃げ切りで彼は過去の勝ち馬のサイレンススズカとも比較されるようにもなった。

タップダンスシチーダイワスカーレットキタサンブラック、アエロリットらターフを沸かせた逃げ馬は度々現れたが、パンサラッサ以外にツインターボサイレンススズカの2頭とこれほどまでに比較された馬は、これまで1頭もいなかったと記憶している。

 

2022年3月、パンサラッサはドバイターフに選出され海を渡った。このレースは彼のベストレースと言えるだろう。これまでと同じく速いラップで逃げるパンサラッサはすぐ後ろで追走される厳しい展開だった。しかし、4コーナーで彼に追走していた馬の大半が脱落、直線で驚異的な粘り込みを図るパンサラッサに中段に潜んでいた前年の覇者Lord Northと後方から飛んできたヴァンドギャルドで3頭並んだ所がゴールだった。

 

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長い写真判定の末、パンサラッサとLord Northは1着を分け合った。爆逃げの個性派から僅か半年足らずで海外G1馬まで上り詰めてしまったのだ。彼が喩えられた逃げ馬達と並ぶ"世界のパンサラッサ"になった瞬間だった。

 

国内に戻ったパンサラッサは宝塚記念に出走。適距離ではない舞台でも57秒台で逃げて8着だった。2200mでも予想以上の粘りを見せ、適距離に戻れば国内でも侮れないという印象だった。これにより秋の目標は中距離路線となり、札幌記念ではジャックドール、ソダシと対戦。適距離のレースだったが、同じく逃げで頭角を現し重賞馬となったジャックドールに首差敗れてしまう。

 

このような経緯を経て、パンサラッサは天皇賞(秋)に向かう事になった。単勝の人気もあまり高くなく、最終的な単勝22.8倍の7番人気となった。流石にこのオッズは評価が低すぎると思っていたのだ。

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オッズ的にもとても魅力的だったが、私は本命にできなかった。宝塚記念札幌記念ではスタートがあまり良くなく、そこから無理にハイペースの逃げに持ち込んでいる印象があった。その事が気になり「今回もスタートが決まらないかもしれない」と判断し、皐月賞で美味しい思いをさせてくれたジオグリフと、モーリス産駒のジャックドールを中心に馬券を買ったのだ。ドレフォン産駒が再びアッと言わせる勝利をあげて欲しかった。

 

天皇賞(秋)のゲートが開いた。

ジャックドールとパンサラッサは2頭ともスタートを決め、スーッと前に上がっていった。2コーナーでまずノースブリッジが絡みに行き、更にバビットが外からポジションを取りに行ったものの、パンサラッサがハナを取り切った。ジャックドールはその3頭の後ろに控える形になった。

「こうなるとパンサラッサの持ち味が出そうだな」と思いながら、パンサラッサがどういうラップを刻むのかを見るためにターフビジョンを見つめていた。

600m35秒くらい。「速い」

3馬身ほどのリードが少しずつ広がって行った。

 

800m45秒くらい。「速い」

リードは7馬身くらいに広がっていた。

そしてここから、後続との差がどんどんと開いていった。

 

1000mは57秒4と表示され歓声が上がった。

2番手との差は15馬身程に開いていた。

サイレンススズカみたいな逃げだな」とつぶやいた。

 

このときの周囲はまだまだ冗談交じりの「パンサラッサ速いよ」とか「いつものパンサラッサだ」とか、彼の馬券を買っている人が「いいぞ!逃げ切れるぞ!」というまだ冷静さを伴ったトーンだった。

 

だが、その雰囲気が変わり始めたのはその直後だった。

パンサラッサと後続との差が更に広がっていったのだ。

 

「めっちゃ逃げてない?」「アレなんかヤバくね?」「ヤバイヤバイ」「凄い凄い」

周囲が徐々に騒然としていき、それはスタンド全体に波及していった。

 

大欅をパンサラッサだけが通り過ぎていく

 

ターフビジョンに映し出された3,4コーナーの映像がこのレースの中でバビットとの差が一番開いていたように見えた瞬間だった。

 

「あんなに離してるよ」「凄くない?」「後ろ届くの?」

6万人は既に騒然となっていた

 

パンサラッサだけが4コーナーに向かっていく

あの馬が歩みを止めた場所を通り過ぎていく

 

プリテイキャストの天皇賞(秋)の時の映像を彷彿とさせるような2番手との差が、2000mの天皇賞で繰り広げられている…

その瞬間、これはとんでもないレースになってしまったと思った。

 

逃げているのが伏兵による玉砕的な戦法だったのなら、自分も周囲の人々もまだ冗談交じりで後続に注目していたかもしれない。

ただ今回は違う。先頭を走っている馬はパンサラッサなのだ。

 

それも、天皇賞(秋)

 

福島記念中山記念ドバイターフの逃げで3回も私達を驚かせ、魅了したG1馬パンサラッサだったのだ。

そのパンサラッサが、一番持ち味が出る形で大逃げを打ち後続を大きく離してリードしている。そして直線で驚異的な粘りを見せる事が予想できるのだ。

 

それも、天皇賞(秋)

 

つまりそれは…

「パンサラッサが逃げ切る―――」

 

それも、天皇賞(秋)

 

そしてそれが意味するところは…

 

「あっ…」

 

ここから先は、レースを平常心で見ていられなかった。

3コーナーで後続を突き放す光景はあの日の記憶と完全に重なってしまった。

もう買った馬券のことなど、もうどうでも良かった。

目の前のレースを見ながら、頭の中は洪水が起きていた。

 

なぜならあの光景は、心の奥底に大事に仕舞い込んだ1998年11月1日に見たかった景色だったからだ。あの日、サイレンススズカに起こった事は少年時代の自分に取ってこれ以上ない理不尽な結末だった。競馬を始めたダビスタ世代の少年達に落とされた大きな闇。呆然とテレビを見つめていた。競馬を見始めた年に出会った彼が、どれだけ強くても、呆気なく終わってしまう瞬間がある事を経験した。あれから24年、もし彼が無事だったら…と思う事もなくなっていた。この事はもう過去の思い出だと思いこんでいたのだ。

 

たが、夢の続きの光景が目の前に現れた時、私の心は完全にあの日の自分に戻っていた。

 

パンサラッサ、行け!逃げろ!あの日の続きを見せてくれ!

 

無我夢中でパンサラッサを応援していた。

気がつけばパンサラッサの馬券を買ってなさそうな周囲の人ですら、パンサラッサを応援し始めているようだった。

 

それは多くの人が、パンサラッサの大逃げを見て彼の事を思い浮かべたからだろう。そして、1998年の天皇賞・秋でその馬に何が起こったのかは、リアルタイムで見ていた人も、後追いで知った人も、ウマ娘から競馬を見始めた人の誰もが知っている。

 

人間の事情など何も知らないパンサラッサに、あの日の夢の続きを託していた。

 

「無事に走りきってくれ」

何故かそんな願いが思い浮かんでいた

 

「あの日を超えてくれ」

越えられない壁みたいなのを打ち砕いてくれと思っていた。

 

「逃げ切ってくれ」

祈るような気持ちでファインダーを覗き込んでいた。

 

他の馬の事は見ていなかった。

ファインダーの中にパンサラッサがただ1頭だけ写り続けていた。

ゴールはまだか…と思っていた矢先、外から飛んできた馬がいた。

 

 

イクイノックスだった。

そのキタサンブラック産駒は逃げ切りを図るパンサラッサを差し切り1馬身の差を付けてゴールした。

 

言葉で言い表せられなかった。

ただ、胸がものすごく熱くなったレースだった。

 

パンサラッサが見せてくれた夢は私の胸を打った。

イクイノックスがこれほど強く成長していた事に驚嘆した。

2年連続で3歳馬による優勝で終わった天皇賞(秋)は、トレンドの変化を強く印象づける出来事だった。

 

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特別な気持ちにさせてくれる馬

正直パンサラッサにはしてやられてしまったディープインパクトやタイトルホルダーのように無限に広がる果てのない夢を見せてくれる馬は数多くいた。しかし、なんの前触れもなく終わってしまった夢を、その走りで思い起こさせてくれる馬はいなかった。自分の中で積み重なってきた競馬の歴史が全て押し寄せてきたかのようだった。こんな経験は初めて味わった。

2着という結果に終わったものの、あの日のサイレンススズカを越えてくれたと思ったし、1998年11月1日に自身の心に刻みつけられた闇は、2022年の天皇賞(秋)で本当の意味で成仏できた出来事になったのだ。

 

個人的には、ウマ娘のアニメとゲーム内で大河ドラマ的に描かれたifのお話でも十分成仏できていたと思っていたのだが、まさか現実でこんなレースが展開されるとは…。

 

パンサラッサは既に特別な気持ちにさせてくれる魅力的な馬だったが、天皇賞(秋)で見せてくれたものはその1段階上の"特別な気持ち”だった。紛れもなく彼は歴史に残る馬になったし、歴史に残る名勝負になったと感じた1日だった。

余談

 

一緒にPOGをやっている赤ペンさんが話していたように、今回の出来事のお陰でやっと「サイレンススズカが無事に走ったけど別の馬に差されたifの話」を俎上に上げられる土壌が出来たのではないかと思った。

当然「あの出走馬の中でそんな馬がいたか?」と言われれば答えるのが難しいのではあるのだが。しかし、今まで「サイレンススズカがどんな勝ち方をしたか」しか実質語られなかったifに対して、そこから一歩進んでそれ以外のifについて語っても、もう怒られないよねとは思うのだ。

そのように98年天皇賞(秋)へのアプローチを一歩進めた時、悲劇の影に隠れてしまった勝者オフサイドトラップナリタブライアンと同期で、度重なる屈腱炎を乗り越え、7歳の重賞初勝利から3連勝で天皇賞(秋)を勝ち、当時最高齢のG1勝利を飾った馬として再びスポットが当たる瞬間が訪れるのかもしれない。

そして、そんなサイレンススズカオフサイドトラップが対決する大河ドラマが世界の何処かで描かれる日が来てももう絵空事ではなくなったような気もするのだ。なぜなら彼が辿った蹄跡も、どこかの誰かに希望を与え得る事を成し遂げたのだから。

イニエスタとPK対決をしている場合ではないんだよなぁ(これはこれで面白かった)

 

booth.pm

 

 

*1:パンサラッサ、結局どのタイミングでメンコを外したんだろうか