ごまだれ

感じた想いを書き残す場所

競馬好きが日本ダービー現地観戦の思い出を語っていくぜ!

2022年5月29日は競馬の祭典である第89回東京優駿(日本ダービー)が開催される。ここでは自分の思い出の整理も兼ねて、初めて現地観戦したダービーからの事を記録に残しておく。

2004 キングカメハメハ

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初のダービー観戦は2004年、皐月賞で地方所属馬初のクラシック制覇を目指したコスモバルクの応援をするために人生初の東京競馬場に向かった。
初の東京競馬場だったこともあり、レース以外でもずっと興奮していた。これがテレビで見続けてきた憧れの競馬場、とにかくその広さとダービーデーの人の多さに圧倒された。
この日は当時としては珍しい30度超えの真夏日でのダービーデー。とにかく暑かった記憶とマイネルマクロスの大逃げ、キングカメハメハの強さ、そして2分23秒3のコースレコードのパフォーマンスに大興奮した事を覚えている。コスモバルクは先行策から4コーナーで先頭に立つも後続に次々に抜かれ9着に敗れた。過酷なダービーを駆け抜けたキングカメハメハハーツクライダイワメジャーの3頭は後年日本競馬を牽引する種牡馬となり、スズカマンボメイショウマンボ、メイショウダッサイらのG1馬を輩出した。

この日のダービーを今振り返る時のメンバーの豪華さに、つくづくこの時のダービーを見ておいて良かったと思っている。

2005 ディープインパクト

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2000年、幻に終わったアグネスタキオン。2003年、あと一歩及ばなかったネオユニヴァースのクラシック三冠の夢。まだ見たことのない三冠馬に憧れていた自分が初めて見た三冠馬ディープインパクトだった。若駒Sのパフォーマンスに鳥肌が立ち、最大の鬼門となるであろう小回りで直線の短い皐月賞を落馬寸前の躓きから圧勝したことで期待は確信に変わった。ダービーデーは同行する友人と7時過ぎに駅に集合し、1Rが始まる1時間以上前に東京競馬場に入場した。1Rのファンファーレ後に上がった大きな拍手が忘れられない。数時間後に訪れる誰もが勝つと信じて疑わないディープインパクトへの期待が詰まったような拍手だった。10R。ターフビジョンにダービーのパドックが映し出された。大暴れするディープインパクトが映し出され騒然とするスタンド。一抹の不安。それでも大丈夫だよねと言い聞かせながらレースを待った。ゲートが開いた。今日は躓かなかったが出遅れた。向正面、外の馬に蓋をされて内に包まれていた。大丈夫かと固唾を飲んでいた。3コーナー。カメラがズームされ外に出ていた事がわかった。もう大丈夫だと思った瞬間だった。歓声があがった。あとは独壇場だった。あっという間に差が広がった。興奮で覚えていない。ウイニングランするディープインパクトに向かって「菊花賞も絶対見に行くからな!」と叫んでいた。

帰りの電車の車内、満員電車の中で隣になった50代くらいの女性とダービーの話になった。「最近は競馬場まで来る事はめっきりなくなったんだけど、今日はディープインパクトを見るために山梨から見に来たの」
日本の競馬を何もかも塗り替える大きな夢を叶えてくれる。ディープインパクトは自分を特別な気持ちにさせてくれる馬だった。

ディープインパクトは傑出した競走成績だけではなく、日本生まれの種牡馬として最も成功した成績を残した。彼の現役時代の走りを見れたことは言葉にできない喜びがある。ディープインパクトが2022年時点で日本で生まれた最高のサラブレットであることは疑いようがない。

後悔している事もある。幻に終わった菊花賞現地観戦だ。2005年はもう一つの趣味になった野球観戦にハマってしまった年だった。
菊花賞の京都遠征よりも優勝にひた走る阪神の試合を見にいく事にお金を使ってしまった。
菊花賞前日、日本シリーズの試合を阪神ファンの知り合いとオフ会で見ていた。霧に包まれて中断する千葉マリンの試合で菊花賞のCMが流れた。タイムマシンがあるならあの日に戻って当時の自分に伝えたい。
「そのまま次の日に無理してでも京都に行け」と。

2006 メイショウサムソン

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野球観戦にどっぷり浸かっていた2006年。自分は午前中に東京競馬場に足を運んだもののダービーの馬券を買いそのまま競馬場を後にして西武ドーム阪神の試合を観戦した。ダービーの時間が近づきラジオを聞くために席を外し、球場の隅っこで聞く予定だったのだが、その場所にいた人がたまたま「モバHO!」と呼ばれたモバイル端末でグリーンチャンネルを見ていたので見せてもらった。周りは自分も含めて結構な人だかりになっていた。ダービーが気になっている人は俺だけじゃないんだなと思った瞬間だった。
小さな画面越しにメイショウサムソンが2冠を達成する瞬間を見届けた。予定が重なりどっちを見に行くのかという選択に悩む事が多いが、当時始まって2年目の交流戦だったとはいえこの日くらいは石橋守騎手の悲願のダービー制覇を現地で見ても良かったんじゃないかと今振り返ると思う。

2007 ウオッカ

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直近で牡牝混合の中距離G1をスイープトウショウヘヴンリーロマンスが勝っていたとはいえ、それは古馬との戦い。
3歳春、ましてダービー。牝馬が来るなんてありえないと思っていた。
その先入観からマークシートウオッカの番号を塗りつぶす事はなかった。
ジャングルポケット産駒、共同通信杯勝ち馬で父と同じ黄金ローテで大舞台に臨み単勝1倍台に推されたフサイチホウオーが親子制覇をすると確信していた。
レース前、ターフビジョンに暴れる姿が映し出された。大丈夫、この姿は2年前にも見た。仕草まで父親に似るんだなと冷静に見ていた。
薄曇りの府中の直線をウオッカが抜け出していた。

「えっ!?」「嘘だろ!?」
どよめきに包まれる競馬場。その瞬間から今見ているこの光景の状況を理解し始める。伝説として記されているだけのクリフジ以来の牝馬のダービー馬が誕生する。場内のどよめきは喝采へ変わった。

歴史的瞬間を目撃した事に興奮を抑えきれなかった。しかし、この時はまだ知る由もなかったのだ。この日が牝馬がダービーを勝った「点」の日ではなく、強い牝馬の時代の本格的な幕開けを告げる「線」の始まりであることを。

ガラケーで撮った写真がかけがえのないものになるとは...

2008 ディープスカイ

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この年は行っていなかった。
その詳しい理由は思い出せないが、この前年にニコニコ動画からハマったアイドルマスターに趣味を全振りしていたからだろう。群馬に戻っていた時期だった事もあり競馬も毎週熱心に見ていた期間ではなかった。
ただ、アイマスとの出会いがなかったら今の自分は存在しないくらいの影響を与えてくれた作品だ。そこで知り合った競馬好きの人たちと今一緒にPOGをしたり競馬の話をしているので、本当に足を向けて眠れない存在だ。
今のウマ娘があるのもアイドマスターから派生したシンデレラガールズが大ヒットして、多キャラで展開するソシャゲ作品が定着した結果生まれたと言っても過言ではないので、競馬とアイマスの2つの趣味を経験してきた事は結果的に良かった。
ウマ娘の立ち上げ時にアイマスの元ディレクターが関わっていた事もあり、初期キャストにアイマス出身者と多く二重の意味で楽しめているからだ。
それにしても、自分のTwitterのTLが日曜の午後3時になると競馬一色に染まるなんて誰が予想しただろうか。

2009 ロジユニヴァース

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初夏の強い日差しが降り注ぎ、緑の芝と青い空が映える事もあるダービーデーだが、この年はお昼から非常に強い雨が降り、馬場はみるみるうちに不良まで悪化し普段とは全く違う薄暗い中でダービーが行われた。最内枠から終始インコースを進んだロジユニヴァースが狭くなっていたリーチザクラウンの内を突き1着。皐月賞1番人気14着の屈辱を晴らす勝利、そして鞍上の横山典弘騎手の悲願のダービーになった。ウイニングランでファンに向かって帽子を取って一礼する光景が目に焼き付いている。

「馬の調子が良くなく、勝てると思っていなかった」「ダービーでも未勝利でもその馬にとっては大事な1勝」というインタビューに横山典弘騎手の姿勢が現れていると感じ、これが2014年にも繋がっているのだと思った。残念ながらこのダービーがロジユニヴァースにとって最後の勝利となった。人智を超えたロジユニヴァースはダービーで勝利を超えた何かを教えたかったのかもしれない。

2010 エイシンフラッシュ 

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「史上最高のダービー」と評された2010年だったのだが、自分の中では単勝31.9倍の伏兵に甘んじていたエイシンフラッシュが勝った事で、「最高のダービー」の期待とは裏腹に消化不良のまま競馬場を後にしたのを覚えている。
人の思い通りに行かないからこそ、それ以上の結果を見せてくれる事もある魅力があるのが競馬の醍醐味なのだが、自分の期待は馬券ともに見事に外れてしまった。

それもそのはず、期待のハードルはダービー前から上がりに上がっていたのだ。
5連勝で皐月賞馬に輝いたヴィクトワールピサ、薔薇一族初のG1馬になったローズキングダム青葉賞馬の期待の星ペルーサエアグルーヴ産駒ルーラーシップ、そしてNHKマイルカップで驚愕のコースレコードを叩き出したダノンシャンティ

自分はペルーサ青葉賞での圧倒的なパフォーマンスにすっかり魅力されていた。「彼ならトライアル組がダービーで勝てない不名誉な記録に終止符を打ってくれると信じていた。ペルーサに勝てるとしたらNHKマイルのパフォーマンスを再度見せてくれるダノンシャンティに違いない」と期待を膨らませていたのだが、ダノンシャンティは骨折が判明して前日に出走取消となってしまった。
そして自分が応援していたペルーサはこのダービー以降悩まされることになる痛恨の出遅れ。そして超スローペースで流れたことにより追い込むも6着に終わる。夢は破れた。

エイシンフラッシュは上がり3F32秒7というダービー史上最速のタイムを繰り出し、内田博幸騎手にダービージョッキーの栄誉をもたらした。
先日公開された競輪ダービーのコラボ動画内で内田騎手が地方在籍時代の2003年にダービーに初めて騎乗した時の感想を「ダービーは特別」「地方の騎手でダービーに乗れたことは夢のよう」と語っていた。ダービーへの憧れがJRA移籍を後押ししたはずだ。
ダービートレーナーとなった藤原英昭調教師は歓喜の前日、金鯱賞タスカータソルテを失っていた。

ダービーは毎年色々なドラマを思い描いてしまう。この年は自分の思い描いていた「青葉賞馬で藤沢厩舎に所属するロブロイ産駒による初めてづくし」ではない悲願のダービー勝利の刻まれたのだ。

エイシンフラッシュのキャリアのハイライトとして語られる天皇賞(秋)の約2年半前の事であった。

2011 オルフェーヴル

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震災に見舞われたこの年は現地観戦を断念した。
恐怖と不安が日本を覆う時代に光を差した馬達がいた。
3.11から約2週間後、ヴィクトワールピサトランセンドによるドバイワールドカップのワンツーがあった。
オルフェーヴルはその約12時間ほど前、阪神に振り替えられたスプリングSで2勝目を挙げ、ダービーまでの出走を確実にした。まさかこの馬が後に三冠馬になるなんて...。

土砂降りの大雨の中、馬群の中から一気に突き抜けて二冠を達成したオルフェーヴルドリームジャーニーの弟とはいえ、まさかステイゴールドからこんな馬が生まれるなんて...。
オルフェーヴルは最も破天荒な三冠馬として記録にも、記憶にも残る名馬となった。その型破りなスケールを受け継いだ産駒が海外で大活躍してくれる事を夢見た。まさかその産駒からBCディスタフを勝つ馬が現れるなんて...。
型破りな夢を見せてくれるオルフェーヴルが2011年のダービー馬だった。

2012 ディープブリランテ

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2年ぶりの現地観戦となったダービーは久しぶりに天気に恵まれ、初夏の晴れ間の中で開催された。

それまでG1勝利がマイルしかなかったディープインパクト産駒はオークスジェンティルドンナに続きディープブリランテがダービーも制覇した。
園田在籍時に菊花賞を勝ち、2006年にJRAに移籍した岩田康誠騎手は地方出身騎手として3人目のダービージョッキーとなった。
接戦だったためウイニングランを行わず、岩田コールに応えるためにヘルメットを取り深々と頭を下げるシーンが目に焼き付いている。
蛯名正義騎手のフェノーメノはクビ差で後一歩及ばず、悲願はならなかった。
ディープブリランテはこの後、英国に遠征しキングジョージに出走するも8着。常識外の海外遠征を敢行したのは、あの矢作芳人調教師。
ブリーダーズカップの歴史的2勝の道の始まりも、無謀と思われたグランプリボスディープブリランテ敗戦から始まったのだ。

2013 キズナ 

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第80回記念。レースの1ヶ月前からJRAは例年以上の大々的なプロモーションを行った。京王線にラッピング車輌が走り、京王の渋谷駅と新宿駅もダービーの広告で埋め尽くされ、当日はファン投票で選ばれたダービー馬を冠した特別レースや、ダービー馬産駒限定レースが組まれた。
当時は正直言ってやりすぎではという印象だったが、結果的にこのプロモーションは大成功。天気にも恵まれ前年比121%増の約14万人の大観衆が東京競馬場に詰めかけ、武豊が騎乗したキズナが劇的な差し切り勝ちを決めた。
京都新聞杯のパフォーマンスを見た時、やっとディープによく似た末脚を活かす牡馬が出てきたと感じた。年末と春先の不振が嘘のような姿にダービーへの期待が膨らんでいった。

たが、「そんなに都合のいい事が起きないのも競馬」という事も常に頭の中にあった。
震災からの復興の代名詞となった「絆」が名前になり、佐藤哲三騎手のコンビで連勝をするも、佐藤騎手はその後引退の原因となる落馬事故に遭いキズナに乗れなくなってしまう。そのバトンを武豊騎手が受け継いだキズナだったが能力を発揮できずに連敗。皐月賞を諦め裏街道で勝ち星を重ね、ダービーを勝ち3歳馬の頂点に立つ。
その鞍上には2010年の落馬事故から輝きを失いつつあった武豊騎手がいる。

そんな漫画のような筋書きが80回のダービーで?

とういのも、この年は2021年と同じように、確たる本命馬が存在していなかった。
19年ぶりに2歳王者の皐月賞馬となったロゴタイプシーザリオの娘でダービー初勝利を狙う福永祐一騎手のエピファネイア、そしてキズナ
ロゴタイプは距離、エピファネイアには気性、そしれキズナには臨戦過程の不安材料があった。

キズナ単勝2.9倍の1番人気に推されたが、ロゴタイプ単勝3.0倍と僅かの差であった。当日の芝のレースはとにかく追込が効かない前残りの馬場。自分はキズナは危険な人気馬と判断した。

レース前、映像が流れた。
ダービーには過去の三冠馬のように勝ってその名を刻んだ馬だけでなく、エフフォーリアのように負けて語られる馬、オグリキャップのように出走出来なかった事で伝説になった馬たちにもスポットを当てていた。場内のテンションも最高潮になった。

前残りの馬場でも腹を括って後方待機策を打ったキズナは、最後の最後でエピファネイアを差し切った。ゴール前100mからのシーンはスローモーションの様に今でも頭の中に焼き付いている。エピファネイアに並び掛け、「キズナが来た!」 と理解し1段階上がる場内の歓声。

「都合の良い夢のようなこと」がまさに起きようとしていた。今まで何度も現地で見てきたダービーだったが、今までに経験した事のない拍手と歓声が東京競馬場に響き渡った。買った馬券に関係なく、府中にいた多くの人が考えていたことは同じだった。個人的日本ダービーのベストレースになった。

「僕は帰ってきました」

インタビューでのこの言葉通り、キズナでのダービー勝利は武豊騎手の復活を象徴する出来事だった。武豊騎手のレジェンドとしての凄さはどん底を経験してから再び表舞台に戻ってきたことだ。もしもこの勝利がなければ、この数年後に鞭を置いてキタサンブラックやドウデュースで活躍する姿や、ウマ娘のおじさんとしてCMに出演する姿は見られなかったかもしれない。

そしてダービーには血のドラマもあった。ディープインパクトシーザリオという同世代の息子がダービーで頂点を争っただけで感慨深いのだが、キズナは自分が競馬を見始めた98年の桜花賞ファレノプシスの15歳年下の弟であり、ビワハヤヒデナリタブライアンの従弟でもあった。この後のダービーでも思う事だが、日本の競馬で活躍した血統が次の世代でもG1の大舞台で走るのが当たり前になってくる嬉しさをどんどん感じられるようになったことも嬉しかった。

2014 ワンアンドオンリー

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「そんなことって起こるのか」という事が再び起きたダービーだった。
勝った馬は横山典弘騎手に導かれたワンアンドオンリーノースヒルズは2年連続のダービー勝利となり、ダンスインザダークハーツクライリーチザクラウンローズキングダムの2着で涙を飲み続けていた橋口弘次郎調教師にとって悲願のダービー制覇となった。

この年は2007年以来、皇太子時代の天皇陛下が観戦されたのだが、なんと横山典弘騎手、前田幸治オーナー、ワンアンドオンリーの誕生日が天皇陛下と同じ2月23日だったのだ。

父、そして調教師に初勝利をもたらしたワンアンドオンリーという唯一無二の名前がついた馬を自分はとても気に入り応援していたのだが、残念ながら次走の神戸新聞杯が最後の勝利となった。

2015 ドゥラメンテ

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自分にとって幻の三冠馬と呼ばれる馬はこの馬だ。
皐月賞はまるでウサイン・ボルト北京五輪の100mで世界記録を叩き出した時のような衝撃だった。一気に抜け出して最後は流して圧勝する。こんなパフォーマンスを中山で見せたのはディープインパクト以来だった。胸が高鳴った。そんな馬がキングカメハメハエアグルーヴの娘のアドマイヤグルーヴから生まれたのだ。ダービーも通過点、菊花賞ではなく凱旋門賞にいって変則三冠も…という青写真を心の中で描いていた。

そして、ダービーも全く危なげない競馬で勝った。

しかし、その2ヶ月後に骨折、菊花賞凱旋門賞のどちらを選ぶのかという選択の答えは幻となり、彼の歯車は狂ってしまった。
復帰となった中山記念を勝ちドバイシーマクラシックへ。世界の舞台で復活を信じていたがレース前に落鉄、蹄鉄装着が不可能なほど暴れてしまいそのまま出走し、Postponedに敗れてしまう。
そして宝塚記念でもマリアライトに敗れ、故障して引退。
そして種牡馬としても僅か5世代の産駒を残し、2021年8月31日に永眠。
「荒々しく」という意味で名付けられたドゥラメンテは激しく燃える炎のように9年間を駆け抜けて逝ってしまった。
その後、タイトルホルダーとスターズオンアースがG1ホースとなった。そのたびに思い、託してしまうのだ。残された産駒達が三冠や凱旋門賞に出走したり、キタサンブラックサトノクラウンリアルスティールの産駒としのぎを削る事を。

2016 マカヒキ

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この年はダービー当日に大事な予定が入っており、現地へ行かず、予定が終わった後のレース映像で結果を確認することになった。
マカヒキサトノダイヤモンドの追い上げを僅かに凌ぎきり、川田将雅騎手に初のダービー勝利をもたらした。普段は冷静な川田騎手が感極まり、大歓声に応えながら頭を下げる光景は感動的だった。
この頃から代打騎乗でも結果を出せる騎手というイメージだったが、川田騎手といえばこの馬とのコンビという組み合わせがなかったのも事実だった。近年ではダノンの勝負服といえば真っ先に出てくるのが川田騎手になり、2021年にラヴズオンリーユーを復活に導き海外G1を2勝した事も記憶に新しい。運命の馬といえるような名馬との出会いを期待をせずにはいられない。

マカヒキは2022年の今もターフを走っている。現役続行が疑問視される中での京都大賞典の勝利もあった。今日も無事にゴールを駆け抜ける事を願っている。

2017 レイデオロ

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JRAジョッキーとなったC.ルメール騎手、そして藤沢和雄調教師にとって初めてのダービー勝利となったのがレイデオロの勝った2017年。向正面で果敢に上がっていきそのまま押し切った。
とにかくカッコよく、荒々しさがありながらも「黄金の王」の名前の通り気品のある馬だった。祖母は5歳6月にデビューし、僅か3ヶ月の現役生活ででスプリンターズSまで出走したディープインパクトの姉レディブロンド。
良血とはいえ、個性派としてターフを沸かせたレディブロンドから繋がった血がダービーを勝つのは言葉で言い表せない感動があった。藤沢調教師もそれまでのダービー成績はシンボリクリスエスゼンノロブロイの2着が最高。ダンスインザムード以降G1勝利から遠ざかっていた時期を経てからの復活を経てのダービー勝利に「藤沢先生がダービートレーナーになれて本当に良かった」という喜びが表彰式を包んでいた。

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オルフェーヴル以降ダービー後にG1を勝てた馬が出ていなかったが、レイデオロは2018年に天皇賞(秋)を勝利した。特別なレースと認識されている日本ダービーJRAのG1レースの1つであり、1勝するだけでも大きな価値があるのがG1で、そしてG1を1勝してキャリア終わる馬が数多くいるのも重々わかっているのだが…。だからこそ複数のG1を勝ったダービー馬は歴史に名を残す馬なのだと感じるのだ。

2018 ワグネリアン

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2018年は自分にとっても競馬との向き合い方が変わった年だった。
ミラーレス一眼を買い、これが競馬写真を撮り始めるきっかけになった。
何より、4月から6月までウマ娘のアニメ1期が放送された。自分も「折角だし競馬場に行ってみない?」と知り合いの人を競馬に誘い、沼へと導いていた。
この日のダービーにもウマ娘から興味を持って競馬場に来た知り合いの人が結構来ていた。同じ苗字の騎手を買わなかった時に馬券に絡んで「◎◎騎手の馬も買ってておけばよかった~」と嘆いたり、目黒記念を待つ間のダービーの熱気をゆっくり冷ます雰囲気の良さを味わったりして、ダービーデーを満喫したようだった。

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そんな2018年のダービーを勝ったのがワグネリアンだった。キングヘイローの挑戦から20年、ついに福永祐一騎手がダービージョッキーになった。17番枠から腹を括って先行策をとり、逃げる皐月賞エポカドーロを捉えて栄冠に輝いた。エポカドーロを応援していた自分は悔しさも残ったが、久々に馬券が大的中したダービーだった。福永騎手にとってこのダービーの勝利は非常に大きく、競馬に対してメンタル面の変化が大きく「楽しく乗れるようになった」と語っている。その後福永騎手は2020年、21年と連覇を達成し武豊騎手以来の3勝目を上げ、2022年も有力馬の1頭の皐月賞馬ジオグリフで臨む。脆さもあった福永騎手が、今や「ダービー請負人」と言っても過言ではない正真正銘のトップジョッキーとなった。コントレイルの3冠やシャフリヤールの勝利の原点はこの日から始まっていたはずだ。

血統のロマンもあった。ワグネリアンの祖母は伝説の根岸Sの追込で有名なブロードアピール。胸を躍らせて現役時代の走りを見ていた馬の孫がダービーを勝つ。レイデオロの時にも感じたが競馬を20年見てきた喜びはこういう瞬間に巡り合う時だと思った。
そして金子オーナーは父ディープインパクト、母ミスアンコール、母父キングカメハメハ、そして祖母ブロードアピールをすべて所有していた。個人馬主としても驚異のダービー4勝。これだけでも十分驚嘆なのだが、この後も自身が所有していた血統から生まれたソダシ、アカイトリノムスメでもG1を勝利することになる。

ワグネリアンは残念ながら2022年1月、胆石からの多臓器不全により現役中に帰らぬ馬となってしまう。母も2018年の胆振東部地震の影響と思われる骨折で命を落とし、父と母父も2019年に相次いで他界、祖母ブロードアピールは2021年9月に27年の生涯を終えた。彼の時計はここで止まってしまったが、福永騎手と切っても切れない大切な馬の1頭として長く語り継がれるだろう。

2019 ロジャーバローズ

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令和初のダービーは浜中俊騎手が騎乗したロジャーバローズが12番人気の低評価を覆し栄冠に輝いた。

ダービーには長く続いているデータがあった。

・トライアルからダービーに出走した馬は勝てない

ダービーのトライアルからダービーに出走し勝利したのはバンブーアトラス(NHK杯6着→ダービー1着)以来出ていない。プリンシパルS1着から臨んだあのダンスインザダーク外国産馬皐月賞に出走権がなく青葉賞1着から臨んだシンボリクリスエスも破れている

・人気薄はダービーを勝てない
ダービーは日本競馬のすべての人が目指すレース。ダービーは極限まで馬を仕上げてくるため、実力が反映されやすく上位人気の馬が1着になるケースが非常に多く、単勝50倍以上の優勝はあのハイセイコーを破ったタケホープ以来出ていなかった。一方で超人気薄が2着3着に突っ込んでくる事は多く、穴党にも優しいレースだのだが、ロジャーバローズはこのデータを打ち破り、単勝93.1倍の大穴を開けた。

テン乗りはダービーを勝てない
ダービーでその馬に騎手が初めて乗るケースでの優勝は1954年のゴールデンウエーブ以来出ていない。過去に騎乗経験があった騎手が再度起用され勝利した2021年のシャフリヤール(福永祐一騎手)が久々に達成し、その前は1985年のシリウスシンボリ(加藤和宏騎手)が最後だった。そしてどちらも、別の騎手に乗り代わった時以外のすべてのレースに騎乗していた。

振り返るとこの2019年クラシック世代は、牝馬3冠を分けたグランアレグリア、ラヴズオンリーユー、クロノジェネシスを始めとした牝馬が輝いた黄金世代だったが、ダービーまではサートゥルナーリアという馬が中心となって動いていた。スプリント王ロードカナロア産駒の2世代目、そして母シーザリオの良血馬。アーモンドアイが距離を克服して牝馬3冠を達成した直後の萩Sのパフォーマンスに、牡馬でも超大物が出たと注目された。その期待に応え楽々とホープフルSを勝利。菊花賞の3000mが課題になると思うが、春の2冠は間違いなくこの馬が持っていくと誰もが感じたはずだった。2019年、C.ルメール騎手との新コンビで臨むことになった皐月賞は休み明けを全く苦にせず勝利。ディープインパクト以来の無敗の2冠に向けて視界が広がった。しかし、ルメール騎手はNHKマイルCでのグランアレグリアの騎乗で3週間の騎乗停止となり、ダービーの騎乗ができなくなってしまった。白羽の矢が立ったのは、この年の4月27日から短期免許で初来日し好成績を挙げていたD.レーン騎手だった。騎乗が正式決定した直後、レーン騎手はノームコアでヴィクトリアマイルを勝利。乗り替わりの騎手として不足はまったくなかった。データはあくまでもデータ。1番強い馬ならこういう不利を跳ね除けられる、好きだったジェンティルドンナテン乗りの川田騎手でオークスを圧勝して3冠を達成した。ダービーで当てはまらない理由がない。逆境を跳ね除けてこそ名馬だと考えていた。

ダービー当日は天気に恵まれていた。単勝1.6倍。2冠馬誕生の瞬間をカメラに撮る...はずだった。サートゥナーリアはスタートで痛恨の出遅れ。高速馬場、そして先行して勝利を重ねてきたサートゥルにとっては厳しくなってしまった。最速の上がりを繰り出すも4着に追い込むのが精一杯だった。サートゥルナーリアと同厩舎のロジャーバローズは絶好の1番枠からダービー初騎乗の横山武史騎手が乗るリオンリオンの大逃げの2番手を追走、残り400mで先頭に立つとダノンキングリーをクビ差凌ぎダービージョッキーとなった。

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近年のダービーにはもう1つ、大きなデータがあった。

・ダービーは1枠を狙え
フルゲートが18頭になった1992年以降、2021年まで1枠に入った馬が8勝を挙げている。そのうち1枠1番に入った馬が2008年のディープスカイ以降だけで5勝しており、勝率、連対率、複勝率で一番いい成績になっている。

無条件で1枠は買っておけば良かったと思ったが、サートゥルナーリアが4着だったので馬券はどのみち不的中だったな、と肩を落とした。
そして自分もロジャーバローズがジェンティルドンナと非常に血統構成がにているいとこという事を、このときまで全く知らなかった。知ってたら複勝くらいは馬券に入れてたかもしれないと、ため息をついた。

サートゥルナーリアは「テン乗りは勝てない」というデータを打ち破ることはできなかった。もし出遅れていなければ結果はどうなっていたのか。もしルメール騎手が乗っていたらどうなっていたのか。
出遅れて4着に敗れたという史実が2019年のダービーで記録された。

帰る前、誰かの敷物として使われていた東スポ井崎脩五郎さんの記事が目に入った。『末尾が9の年は「1」を狙え!』だったのだが、選んだのは「1」勝馬のランフォザローゼスだった。
「素直に1番ロジャーバローズにしておけば良かったのに~。でも井崎先生のそういう所が好きなんだよな~」と思い競馬場を後にした。


そして、最後に語っておきたい事がもう1つあった。
昼休みのジョッキー紹介では22年目でヴィントで初騎乗となる竹之下騎手に大きな拍手が送られていた。多くの人の熱意や夢で特別なものに作り上げられたのがダービーだと感じた瞬間だった。

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2020 コントレイル

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未曾有のパンデミックJRAの競馬は2月29日から無観客で行われ、無人のスタンドでG1が行われていった。静寂の中で開催されているG1の違和感。未知の感染症への恐怖と、あの場所に行けない寂しさが心を巡っていた。ファンファーレが無人のスタンドに吸い込まれていく。再び観客と歓声に包まれる競馬場が戻ってくる日を夢見ていた。

 

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幸いJRAの競馬はSARS-CoV-2による開催中止は1度もなかった。非日常の中で普段どおり行われたJRAの競馬はパンデミック禍で唯一日常に戻れる日々だった。
この世代の牡馬の主役はコントレイルだった。前年の東スポ杯で3歳以上のレコードに0.3迫る1分44秒5をデビュー2戦目で叩き出し、ホープフルSも楽々と勝利。サンデーサイレンスが亡くなった後にディープインパクトが現れたように、ディープインパクトが亡くなった年に彼の牡馬の正統後継者が現れた予感がした。

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皐月賞はこちらも3連勝で2歳G1馬となったサリオスとの無敗対決となった。自分はデビュー戦を現地で見ていた彼に惚れ込み、何とかコントレイルに対抗して欲しいと思い応援していたが、コントレイルと一緒に抜け出すものの、勝負根性に屈し2着。近くて遠い半馬身差。ダービーの巻き返しは厳しいと感じた。

ダービーの前週、デアリングタクトが63年ぶりの無敗2冠を達成した。ダービーの3日前、コントレイルの枠順は父と同じ3枠5番に決まった。2日前、東京の空をブルーインパルスが舞った。舞台は整った。

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コントレイルは府中のターフを突き抜け難なく2冠を達成し、その後菊花賞も制しディープインパクト以来の無敗の三冠馬となった。前週のデアリングタクトと並び史上初の同一年に牡馬牝馬三冠馬が誕生した。

【日本ダービー】コントレイル無観客ダービーV 福永完璧エスコート、感謝の馬上礼 | 競馬ニュース - netkeiba.com  「日本ダービー・G1」(31日、東京) 単勝オッズは1・4倍。断然の1番人気に応え、コントレイルが無敗2冠を達成した。騎 news.netkeiba.com  

パンデミックの明かりが見えなかった時代に生まれた光だった。2005年の物語は2020年に続きがあったのだ。

ジャパンカップではアーモンドアイ、デアリングタクトとの三冠馬3頭による歴史的一戦が行われた。メアジードーツらに全く歯が立たなかった第1回から39年、近代日本競馬の第1章が締めくくられたようなレースだった。
コントレイルは4歳となって苦しむも引退レースのジャパンカップで有終の美を飾り現役生活を終えた。無観客のダービーと同じ一礼を、今度は1万人の前で行ったシーンが心に刻まれた。

コントレイルは夢を体現したような馬だった。コントレイルは脚元の不安で1歳12月から半年間育成がでなかった。脚元の故障で幻の三冠馬と語られたフジキセキアグネスタキオンがいた。コントレイルは史上初の親子三冠馬、それも無敗で達成した。その19年前、その夢にあと一歩まで近づき、幻に終わったトウカイテイオーがいた。コントレイルについて「この馬の強さは他の三冠馬と違って3000mを走れる馬じゃないんです」と福永騎手は語った。距離の壁に挑戦したミホノブルボンは屈指のステイヤーライスシャワーに敗れた。
コントレイルは過去の名だたる名馬達でも抗えなかった脚元の不安を乗り越え、その血統を証明し、血統を超えて走り、距離の壁を克服した。

そしてその馬のほぼすべてのレースで天才ジョッキーの息子、福永祐一騎手が手綱をとっていた。
偉大な3冠馬の息子が天才騎手の息子と駆け抜けた2年半の物語。
ディープインパクトの孫であるコントレイルの子どもたちが描く物語を期待せずにはいられない。

2021 シャフリヤール

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この世代は自分にとって特別な世代となった。パンデミックで競馬場に行くことができず、家にいる時間が増えたため、この機会に知り合いの人と一緒に自分が主催してPOG(ペーパーオーナーゲーム)を始めたからだ。ダービーの1年前に馬を選び、その馬たちのレース結果に1年間一喜一憂しながら迎えたダービーは格別だった。初年度は弊POGからシャフリヤール、ステラヴェローチェ、サトノレイナス、そして自分が指名したレッドジェネシスの4頭が出走した。
レッドジェネシスに出資しているわけではないのに、京都新聞杯を勝ち出走が確実になった時は嬉しかった。一方、青葉賞で権利を取ったもう1頭の指名馬キングストンボーイは藤沢和雄調教師の「馬の将来を考えて無理をさせない」という考えから回避が決まった。定年を控えた最後のダービーでもポリシーを貫く藤沢調教師の凄さを感じた。
主催をしたご褒美だったのだろうか、5000人の狭き門を乗り越えてダービーの指定席を手に入れ、現地観戦することがになった。2年ぶりのダービー。普段なら大混雑のダービーをこの快適さで楽しめるのも今回だけだと思い、パドックで出走馬を見に行った。入場制限下でG1のパドックを直接見るようになって気がついた事があった。どの馬もスタッフにより綺麗に手入れされていた。どの馬も輝いて見えた。そしてその中に自分達が1年前に指名した馬たちがいる。POGの醍醐味をダービーの日味わった。

そしてもう一つ、この年はウマ娘のアニメ2期とアプリ版の配信が開始され、競馬に興味を持った新しい人達が一気に増えた。これをきっかけに色々な人を競馬沼に引きずり込めたらいいなと思っていたが、自分の知り合いの中で驚くほどの人達が競馬を見るようになり、注目度が高まっている事を感じていた。

新時代の息吹を感じる2021年のダービーの中心になったのが若武者、横山武史騎手が乗るエフフォーリアだった。競馬の注目が集まる年に競走馬だけではなく20代前半の若い世代の騎手の活躍があれば更に盛り上がると考えていた。奇しくも父横山典弘騎手がクラシックの有力馬メジロライアンで臨んた時と同じ22歳5年目のことだった。
プレッシャーのかかると思われた皐月賞を難なく勝利、横山武史騎手にとって初のG1勝利となり、無敗の皐月賞馬が3年連続で誕生した。
この年はウオッカ以来の牝馬による優勝を目指してサトノレイナスも出走した。ウマ娘から始めた人に説明しやすい出来事が都合良く起こると感じた。

横山武史騎手のエフフォーリアはダービーで絶好の1枠1番を引いた。横山武史騎手の史上最年少の日本ダービージョッキーの大記録が近づいたと確信していた。ダービーのゲートが開かれた。拍手に送られて17頭が1コーナーを回っていった。エフフォーリアは道中は枠順を生かして内を4,5番手で回った。前にはタイトルホルダー、外からサトノレイナス、その後ろにマークするようにシャフリヤールとヨーホーレイクが控えていた。指名馬レッドジェネシスは最後方にポツンといた。
エフフォーリアは3コーナー、4コーナーで少し包まれるような形でポジションを落としていた。

「大丈夫か」

と思ったのもつかの間、直線の入り口で前が綺麗に開いた。

「行ける」

武史騎手がここぞとばかりに一気に追い始め先頭に立った。あとはゴールまで駆け抜けるだけ、今年も2冠馬が生まれると思ったその時、内から1頭の馬がものすごい勢いで上がってきた。シャフリヤールだった。2頭はそのままもつれるようにゴールした。

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ストップモーションが映された。際どかったがゴール板を通った瞬間だけシャフリヤールが僅かに前に出ていた。

シャフリヤールの福永祐一騎手はコントレイルに続き、ダービーを連覇した。エフフォーリアの横山武史騎手は10cm差で涙をのんだ。それは武豊騎手が渡辺薫彦騎手のナリタトップロードエピファネイア福永祐一騎手のダービー初制覇の夢を破ってきたかのようだった。三冠ジョッキーの凄みを感じた。ダービー後に行われた目黒記念パドックで周回していた時の横山武史騎手の表情はどこか暗く、一方の福永祐一騎手は終始笑顔だった。

シャフリヤールの優勝によって、自分が主催したPOGで自分の指名馬ではなかったものの初年度にダービー馬が誕生してしまった。しかもステラヴェローチェも3着、サトノレイナスも5着に入着、自分が指名したレッドジェネシスは11着に終わったがシャフリヤールとステラヴェローチェのワイドが見事に的中した。POG始めるとこんな楽しい事があるので、ぜひ始めてほしいと思った瞬間だった。

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2022年5月、6月初旬にこの記事を見ているみなさん、今ならまだ間に合います!POGを始めましょう!

このダービーの10cm差の勝負には続きがあった。エフフォーリアはダービーに敗れたことで秋は菊花賞に向かわず天皇賞(秋)に出走する事になった。ここでエフフォーリアはコントレイルを下した。その鞍上には福永祐一騎手がいた。ウイニングランで横山武史騎手があそこまで喜ぶガッツポーズを見たことがなかった。涙を拭う姿もあった。絶対勝ちたかったダービーで敗れた悔しさは、福永祐一騎手とコントレイルが絶対に勝ちたかった天皇賞(秋)で晴らすドラマがあった。

シャフリヤールは神戸新聞杯は道悪に泣き、ジャパンカップではアクシデントにも見舞われ3着に終わったものの、2022年ドバイシーマクラシックを日本馬として8年ぶりの優勝を飾り、日本ダービー馬として初めての海外G1優勝馬となった。アラビアンナイトに出てくる王から名付けられたシャフリヤール、作品内のシャフリヤールはシエラザートから物語を聞く側だったが、競走馬シャフリヤールが欧州で自分たちに見せてくれる走りが楽しみだ。

2022年のダービーはどうなる?

2004年から思い出を語りに語ってきたが、2022年のダービーでも熱いドラマが繰り広げられる事を期待している。
皐月賞馬ジオグリフが未知の距離を克服して2冠に輝くのか、イクイノックスが父キタサンブラック、母父キングヘイローが勝てなかったダービーの栄冠をつかむのか、ダノンベルーガ川田将雅騎手のおなじみの勝負服コンビがオーナーに初ダービーをもたらすのか、はたまたドウデュースが武豊騎手にダービー6勝目をプレゼントするのか、いやいやオニャンコポンが、キラーアビリティが…と様々な思いで迎えるダービーになると感じている。

2022年5月29日、7万人の大観衆で迎える第89回日本ダービーが今から待ちきれない。

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